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美容外科手術には大きく分けると、元にもどせる手術ともどせない手術があります。

手術前に勢いよく「私、メッチャ変わりたいんです!」。といった方には、後悔のないように、このことをよーく説明します。

もどせない手術でトラブルが多い手術の代表は目頭切開です。ご存知のように蒙古ヒダを切って、目の横方向を広げる手術ですが、鼻の大きさとのバランスがありますから、切りすぎると鼻とのバランスを崩してしまいます。そうなるともどせませんから、一生悩むことになってしまいます。「他院で切られすぎたのでもどしたいのですが」といった場合に大変困ってしまいます。私は、どんなに勢いよく来院しても、充分に説明して、控えめに広げるようにします。もしそれで満足しない場合は、3か月後に追加切除といった形をとります。30人に1人くらいは追加切除を希望してきますが、不思議なことにそういった方は2回目の追加切除も希望してくるものなのです。見慣れてしまうからなのでしょうか。

もどせない手術で全ての方が満足されるのは、エラ削りです。エラが気になりはじめてからは、皆さんエラを憎んでますから「こんなもんいりません。耳元からガツンと切ってください。」などと言ってくる方もいます。耳元には顎関節がありますから耳元からガツンとは切れませんが(笑)、エラ削りは満足度が高い手術です。ただし、もともとの輪郭によってはエラを切りすぎると顎が長く見えたりするので、術前にシミュレーションやレントゲンを撮って切除量を正確に決めなければいけません。リッツ美容外科のエラ削りは正面からの変化も明らかに出るのが特徴ですが、「正面からの変化はつけたくありません。横から見たこの角だけを取ってください。」などとおっしゃる方もいるので、美容外科というものは難しいものです。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:目頭切開の項をご覧下さい

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:輪郭(フェイスライン)の項をご覧下さい


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私が大学に入学したときには母が入学式用に買ってくれたスーツを一揃いしかもってませんでした。それ以外はワイシャツやトレーナーにTシャツ、スラックスにジャージの上下くらいのものでした。福島から出てきた若者でしたから東京では田舎者です。ファッションなんて知りませんし、興味もありませんでした。

大学に入学してからは硬式テニス部に入りました。その時に出会った同級生、吉田君には衝撃を受けました。[かっこいい!!!]。彼は慶応高校出身です。身長も高く、顔はその当時に売れていた田中健をさらにさわやかにした感じです。その上、性格も素晴らしく誰もが認めるリーダー的な存在です。テニスの腕前はプロになるか医者になるか迷ったうえ、親の希望で医学部に来たくらいのものですから、いきなりクラブ一の実力です。先輩の誰もが下級生の彼に一目おきます。私は神様を恨みました。天は吉田君にニ物どころか五物も与えてしまったか・・・・・・オレにももう少し与えてよ・・・・・・・。

私は憧れのバイクをやっと手に入れ走り回っていたくらいの時代に、すでに彼は車に乗っていました。さらに私は彼女もできず学校とテニスしかしていなかった時期でしたから、恰好など気にせずにジャージで学校に行ってました。ある日、吉田君が私を呼び「おい、志賀、その恰好はなんだ。オレが服を選んでやるから、明日10万円持って学校に来い」と笑顔で言うのです。

翌日、10万円を握りしめ、渋谷のデパートに連れていってもらいました。西武デパートの中であれこれと服をえらんで貰い、笑顔で「明日からこの服以外は着てくるなよ。」「うん。わかった。」

それからいろいろな遊びも教えてもらいました。六本木のおしゃれなディスコ(今でいうクラブですね)での遊び方や酒の飲み方も教えてもらいました。全てが新鮮に見えていた時代でした。

ある日「志賀に彼女を紹介するよ」「え!ホント!!!う・うれしい!!!」

今から29年前に東京で大雨が降り、電車が全て止まったことがありました。吉田君は自分の彼女を車で送った帰りに、駅内で、四人の女子大生に帰る手立てがないからといって頼みこまれたので、車で送ってあげたらしいのです。「その中に志賀の好きそうなタイプの女の子がいるから会ってみろよ。」それがその当時の彼女になりました。

その後、ビックリしたことに彼はスーパーリッチでスタイル抜群かつ美人な帰国子女(これまた完璧)と大学二年のときに結婚したのです。私の素直な心の中です。「こんなにかっこよくて欠点のない男性が世の中に存在していたら、オレなんかの出る幕がないから、よかった。敵がひとり減った。神様ありがとう。」でした(笑)。

外科系の医師の仕事はスーツにネクタイといった服装ではネクタイが傷口に触れたりして不潔になるので、スーツ姿で仕事をすることはあまりありません。手術のある日などは術着の上に白衣を着たまま一日中活動します。ですからスーツを必要とするのは冠婚葬祭と学会くらいのものなのです。

しかし、一着しか持ってないと雑誌の取材で撮影するときなどに、いつも同じ服装になるので困ってしまいます。うちのスタッフも、「院長、いつも同じ恰好では恥ずかしいから、ブランドのスーツを何着か持っててください」の要望がありました。仕方なく学会に行く前に阪急デパートにスーツを買いに行きました。私にとってはスーツに一着20万円など信じられない金額でしたが、ドキドキしながらアルマーニのスーツを買ったのです。

ある時、他大学の形成外科の教授が、クリニックに遊びにいらっしゃいました。その夜は新地で食事を共にして手術のことなどについて話をして盛り上がりました(当然アルマーニのスーツです)。その晩は私もフラフラになるほど飲みすぎましたので、自宅までタクシーで帰りました。千鳥足で家の門を空けて入るときに「ビリッ」と音がしました。「あっ!!!」ズボンに20cmの穴が・・・・・・・。その晩は悲しすぎて枕元を涙で濡らしてしまいました(泣)。

翌日、破れたズボンを持ってアルマーニに行き、「同じズボンが欲しいのですが。」すると「この生地で作ったものはお客さまのものだけなので、同じ生地を探すのは難しいですね。似たような生地でしたら上下ならお揃いできますが」「あっ、結構です」。また20万円なんて払えません。高級ブランドショップでは、いつものコナカや青山と違って、一着のジャケットに二本のズボンを買うことはできないのだ、ということを知ったのです。

それから1年たったある日、あるブランドショップに、あのアルマーニに似たような生地のスーツを発見しました。店員さんに怪訝そうに見られながらも10分くらいじっと観察し、家に帰ってアルマーニのジャケットの生地と比べてみると「微妙に違うけど、ほとんど同じだ!!!!!」。さらにその店ではスーツを買えば何本でも予備のズボンを買えます。私は8万円でスーツの上下を買って、さらに変えのズボンを2本買いました。これでスーツ上下2着セットとズボン一本です。アルマーニのスーツが復活した瞬間でした。

よく考えると、同じようなスーツが二着あっても仕方ないことなのですが、アルマーニが復活したことが嬉しかったのでした(笑)。

初夏です。バイクの季節です。最近は仕事で疲れて帰っても家の周囲を一回りして楽しんでます。             

昨晩は近所のショップに行ってオイル交換して帰ってきました。家に着いてガレージのシャッターを開けていると、隣の奥さんと、高校生くらいの娘さんと犬のムクちゃんに会いました。犬の散歩の帰りの様子でした。

私「こんばんわー(さわやか風に。笑)」

奥さん「こんばんわ。毎日、ムクちゃんが吠えてましてすいません。うるさくて迷惑かけてますでしょう?」

私「いえ、うちのマメやアズキも吠えてしまって、こちらこそ申し訳ありません。」

ムクちゃん「クウーン」

奥さん「今日はお仕事の帰りですか?遅くまで大変ですねえ。」

私「いえ、仕事から帰ってからバイクショップに行ってきたんです。その後、一人で近所を走り回ってました。」

奥さん「そうなんですかあ。お元気ですねえ。おやすみなさーい。」

私「おやすみなさーい」

んんん?お元気ですねえ・・・・・って。

私たちが、「お元気ですねえ」という言葉を使うときは、80歳くらいの高齢な方が足取りもしっかり散歩などしてるときですよね。

自分にその言葉をかけられたとき、なんとなく違和感を感じました。もしかしてオレって老けてみえるのかなあ。それとも49歳でバイクに乗ることがおかしいのだろうか。その晩は考え込みながら酒を飲んだので、翌朝は軽い二日酔いでした。

私の生涯でやりたい事のひとつに富士登山があります。その折には南極観測隊のタロとジロのように豆柴犬のマメとアズキを連れて行きたいと考えてます。

東京都世田谷区に住んでいたころは、天気の良い日には富士山がはっきりと見えて、二日酔いでも朝から爽快な気持ちになれたものですが、大阪からは残念ながら見えません。富士山は私にとって、思い出の山なのです。

はじめてバイクを手に入れ、一人で富士山までツーリングに行きました。夏だったのでなんと短パンにポロシャツといったいでたちです。中央高速に入って大槻くらいまでは快適に進みましたが、真夏とはいえその服装ではさすがに肌寒く富士山のふもとで折り返してしまいました。

車を買ってからは、自動車部の連中が授業が終わると「志賀、俺たち今晩、富士山までドライブに行くけどお前も行く?」と誘いに来るので「行こう行こう!」とついていったものです。富士山の樹海近くは深夜には街灯もなく真っ暗です。そこでキモだめしなどをして遊んでました。

大学時代、テニス部の夏合宿はいつも山中湖でした。朝から晩までテニスです。あのころは誕生日が同じビヨン・ボルグに憧れてました。いつかはウィンブルドンに出るぞ!なんて真面目に考えてました。山中湖は天気が変わりやすく、朝に晴天でも、突然雨が降ったりすることもあります。雨やどりをしていると、先輩が感慨深げに「志賀、山の天気と女の気持ちは変わりやすい、とはこういうことを言うんだ」私「ふむふむ」。

医師になって、富士市立中央病院に外科医として派遣されたので、1年間富士市で生活してました。不思議なことですが富士山のふもとにある病院からは、富士山が見えないのです。近すぎるからでしょうか?いまだに不明です。ただ富士市には製紙工場がたくさんあるので、その煙で見えない、という説もあります。

先日、福島に帰ったときに、快晴だったので飛行機から富士山がくっきりと見えました。あまりの美しさに感動して、デジカメを取り出して撮影していたら、CAさんがやってきて、「電子機器類の使用はご遠慮いただけますか。」「(えっ!電子機器って携帯のことじゃないの。知らなかった。)すいません。」

思い出はたくさんありますが、その富士山に自分の足で登ってみたいのです。聞いた話によると、一泊二日で登るらしいのですが遭難したりしたらどうしよう。マメとアズキは助けてくれるでしょうか。たぶん助けてくれないだろうなあ。

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私はお酒が嫌いです。いつも「どうしてこんなにまずいんだろう。」と思いつつ、もっと酔いたい、笑いたいという気持ちで飲んでしまうのです。

友人と一緒にお酒を呑んでいるときに必ず聞くことがあります。「ビールとコーラどっちが好き?」。ほとんどの方は「ビール」と答えます。次に、「味はどっちが好き?」と聞きます。そうなると考えつつも「つまらない質問するなよ」と言われます。私は味的にはビールよりコーラのほうが美味しいと思うのです。けど、コーラでは酔えませんよね。ですから、酔うために仕方なくビールを飲んでいるのです。

私はいかなる時も(たとえ真夏のハワイでも)昼から酒を飲むことはありません。真夏のゴルフの昼休みですら飲みたくありません。けど本物の酒好きは朝からビールを飲んでますよね。やはり私はお酒が嫌いなんでしょう。

私は若い頃、365日間、毎日飲酒しておりました。お酒を飲むと陽気になれるしイヤなことを忘れて楽しい気分になれるからです。コンパでもお酒の力を借りないと女性を口説けませんでした。私は陽気になることが好きだから、おいしくないと思いながらも我慢して深酒しているのです。

ワインは割と飲みやすいので好きなほうです。でも、ホテルのバーに行ってワインリストを見ると30万円なんてのもあってびっくりします。私は5000円くらいの渋みのある赤ワインしか飲みませんが、ロマネコンティという一本150万円のワインがあると聞きます。ダウンタウンの浜田さんの「芸能人格付けチェック」という番組で、ロマネコンティと3000円のワインを飲み比べて当てる番組がありましたが、食通とされている芸能人でさえ間違えてました。そんなのをみると、150万円という値段はどこから出てきたのでしょう。不思議です。もし5000円の300倍の金額のワインが300倍もおいしいのだったら、これから貯金して人生に一度くらい飲んでみたいものです。

私は快食快便です。口に物を入れると(行儀悪いのですが)食後から便をもよおしてしまいます。これは胃結腸反射といって、動物ならば誰にでもある原始的反射です。消化器外科医でもある私は、排便時は便を必ずチェックします。いつ食べたものが、いつどのように排泄されるかを観察するためです。

便にはさまざまな情報が含まれています。胃炎や胃潰瘍、胃癌など胃から出血する疾患のある方は、血液も小腸・大腸を通過するので消化、酸化されて便が黒くなります。これをタール便といいます。大腸ポリープや大腸癌などが原因の場合は、出血した血液が消化、酸化されないために赤っぽい血便が排泄されます。この場合は肛門近くの大腸か肛門(痔)を考えます。直腸近くの癌は便の通過障害が起きますから、便が細くなったりもします。しかし必ずしも、細い便=直腸癌というわけではありません。

食物の体内滞留時間を調べたいときは、消化しにくい糸こんにゃくやコーンをあまり噛まずに食べます。そうすると、これらはそのまま出てきますから、大体の時間が推測できるのです。

私には数年前からダイエット・健康のために飲んでいるゼニカルという薬があります、これは脂肪の多い食事を摂ると、脂肪を吸収しない形に(ミセル化)してしまうので、焼肉や中華料理、とんかつ、から揚げ、パスタ(ボロネーゼ)、ピザなどが好きな私は、これらの食事のときには愛用してます。おかげさまで血中の中性脂肪も減少し、安心してこれらのものを食べることができるようになりました。xenical_21cap_s.jpg

数年前に社員旅行で香港に行きました。       当然、毎日中華料理ですから、私は毎食内服してました。そうなると体内で食事がほとんど吸収されませんから毎回油っぽい排便があり、三日間で食べながら体重を5kg減らすことができたのです。

しかし、ゼニカルには困ったことがあります。

油が排便時にそのまま溢れてきますから、中華料理なら茶色、から揚げなら白、ミートソース(ボロネーゼ)ならオレンジといった油がでてしまうのです。また油は水に浮きますから、便を流した後に、これが便器に付着してしまい、次の方に知られないように掃除してからトイレから退室しなければなりません。また、ゼニカルを内服したのを忘れてて、寝起きなどにおならをすると、油だけがジトッと排泄されてしまい、下着が油べっとりです。私たちがクリニックで処方するときは、男性にも、できることなら女性用のナプキンを肛門にあてておいたほうが良いですよ、と言っております。

私もデート中に小さなオナラをしたら、油が噴出し大変な思いをしたことがあるので、通勤時でも遊びに行くときでもパンツは黒系しかはかないようになりました(笑)。

 
私は美容院が嫌いです。若い女性で「美容院で髪を触ってもらっているときが一番に癒される。」などと言う方がおりますが、理解できません。

嫌いな理由① 周囲に若い女性がいると恥ずかしい。②頭が大きいのでタオルが頭に回らない。ギリギリな場合、タオルで結べず、輪ゴムで止められるのが恥ずかしい。③時間がかかりすぎる。じっと座っているのは1時間が限界 などです。

以前より、美容院の店長にお酒を呑みながら髪を切ってもらったら時間が短く感じるので「美容院+ショットバー」を提案しているのですが、保険衛生上許可にならないらしいのです。ですから美容院に行くのがおっくうで、髪はうっとおしくなるまで切りに行かないのです。biyouin.jpg

最近、美容師としての経験の少ない美容師の友人ができました。彼女の練習台を兼ねて家に来てカットとパーマをしてもらいます。これは楽しいですよ。片手にビール、テレビの前にどっかと座り、そのかわり終わったらお礼にご馳走させていただいてます。

髪を染めるのは自分でします。

ドラッグストアで購入し、お酒をのみながら染めていきます。あるとき、染めたまま寝てしまい、外人みたいな金髪になってしまったことがあります。橋下徹大阪府知事がバイクに乗って、[茶髪の風雲児]などと言われてましたが、私のほうが5年早くやってました。

今日6月6日は私の誕生日です。49歳は織田信長が暗殺された年齢です(笑)。江戸時代は医療が発達していなかったので「人生50年」などと言われてましたが、いまや日本人の平均年齢は世界一となり、80歳超です。まだまだ30年も生きなければいけません。

子供のころに自分がの50歳になるなんて想像すらできませんでしたが、いよいよ一歩手前まで来てしまいました。この49年間を振り返ると、いろいろありました。つらいこと、楽しいことの思い出が山盛りです。でも割合的には85対15くらいで、つらかったことのほうが多かったと思います。

体も心もバラバラになるくらい悲しいことも何度かありました。そんな悲しみを抱え涙が溢れて止まらなくても、街を歩くと、人の笑い声が聞こえ忙しそうに人が動いてます、花も太陽の光を浴びてキラキラと咲きほこっているので、孤独感のなかにすごい違和感を感じた記憶があります。そのときに「自分の悲しみなんて、全宇宙的に考えればちっぽけなことなんだ。これは心の中にしまいこんで、明日からまた元気に生きなきゃ。」と考え直したのです。

50年近く生きていると、多くの患者さんや友人と知り合います。いろいろな方の話を聞いていると、外からは順風満帆に見えている人でも、心の中にひとつくらいは傷をもって生きているということがわかってきました。私はつらいことがあると夜景の良いところに行きます。そこから高層マンションや住宅街の光を見て、「あの家庭ひとつひとつの数だけ悲しみや喜びがあり、みんな悩みながら頑張っているんだ。」と考えると、自分も負けていられない、と奮起できたりするのです。

これから、どんなにつらいことが待ちうけているかわかりませんが、そんなときにも「オレは死ぬまで頑張って生きる!」と自分に言い聞かせて乗り越えていこうと思ってます。

皆さんも、与えられたひとつの大切な命です。つらいことなんかに負けることなく楽しく生きていきましょう。

手術の際にものすごい緊張される方がいます。静脈麻酔を使用すれば寝てしまいますから問題ないのですが、二重や眼瞼下垂の手術は、術中に確認していただいたり、開眼して微調整しなければなりませんから、起きた状態で手術しなければならないケースもあります。

そんなときは、患者さんにリラックスしていただく為にいろいろな話をします。仕事や学校のことや、住んでいる町、おいしい店などについてです。話しはじめると力が入っていた筋肉が少しずつ弛緩され、痛みも軽減し、手術もやりやすくなりますし、より良い結果につながることが多いのです。そんなのを口麻酔といって、意外に効果的なのです。過緊張している方の手を看護士さんが握ってあげるだけでも、緊張がやわらぐのと同じですね。

先日、いつもの調子で「仕事は何をしてらっしゃるのですか?」

患者さん「普通の事務ですが、お話しながら手術して集中できるのですか?」

私「・・・・・・・・・・・・・・・。では集中します。」

そこまで気が回る人には口麻酔などは不要です(笑)。

アニメの主題歌には思い出深いものがたくさんあります。私の世代だと巨人の星「思い込んだら 試練のみちをー ゆくがー男のー ど根性ー」。小学校のころ、私を勇気づけてくれたものでした。

最近、48歳の私を勇気づけてくれるアニメソングを紹介します。

    アンパンマン   作詞 やなせたかし  作曲 三木たかし

そうだうれしいんだ いきるよろこび

たとえ むねのきずがいたんでも

なにがきみのしあわせ なにをしてよろこぶ

anpanman.gifわからないままおわる そんなのはいやだ

わすれないでゆめを こぼさないでなみだ

だからきみはとぶんだ どこまでも

そうだおそれないで みんなのために

愛と勇気だけがともだちさ

ああ あんぱんまん やさしいきみは

いけ みんなのゆめまもるため

たかがアニメですが、元気づけられる素晴らしい詞と曲だと思いませんか?

「あんぱんまん」のところを「リッツ美容外科」に変えてクリニックの社歌にしたいくらいです。

高校2年の夏、東京の予備校に勉強に行きました。兄が東京の大学に行ってたので、いろいろ案内してもらいました。兄が「おいしいもの食べさせてあげるよ。」と。連れて行ってもらったのは、現在は新宿のアルタになってますが、その地下にあったマクドナルドでした。

その当時(30年前)はコンビニなんて存在してませんでしたし、私の田舎にはハンバーガーなんてありません。はじめての経験でした。なんだこれは!二枚も肉がはさまっているパンだ!それがビッグマックとの初対面でした。バクッ!「うまい!」。さらにフライドポテトのおいしいこと!これも初体験でした。

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兄「おいしいだろう!」

私「うまいねー。東京にはこんなおいしいものがあるんだー」

兄「早く大学に受かって東京に来いよ。」

私「うん」

それから東京にいる間はずっとマクドナルドで食事をし、2週間で3kg増えて田舎に帰りました。

父「おまえ、そんなに太って東京で遊んでたんじゃないだろうな!」

私「シュン」

東京にはじめて住んだのは18歳のとき、中野でした。駅前に目立つ大きな外人さんの人形と、店の中からおいしそうな香り。店内は混み合ってました。これは何の店だろう。栃木県出身の友人と店にはいりました。「なんだ!から揚げ屋さんだ!買って帰ろ!」お腹がすいていたので3ピースのセットを買いました。仕送りの金額は決まってますし、バイトもしてませんでしたからその当時に800円は大出費でした。

4畳半一間の部屋に帰って友人と食べ始めます。

「うまい!!!」

「東京にはおいしいものがたくさんあるんだなあ。でも、ごはんを買ってくるのわすれたなあ。まあいっか。」

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コールスローサラダもおいしいし、その当時はロールパンがついてました。それで満腹です。それが生まれてはじめておかず(お肉)だけで、満腹になった瞬間でした。本当に幸せな気分になったのを覚えています。

最近テレビで観て知ったのですが、沖縄では、ケンタッキーフライドチキンをおかずとして食卓に並べて、箸で食べるそうです。私も田舎から出てきたころは、お肉を食べるときは必ず、ごはんのおかずとして食べていたので、沖縄の人達の気持ちが理解できます。

お恥ずかしい話。友人とケンタッキーに行きました。二人で話しながら食事も終盤。私は食べ終えてました。友人が「私、トイレに行ってくる。」「ああ、いいよ。」ケンタッキーはセルフサービスですから、自分で片付けます。おや、フライドチキンの一番好きな、味のよくついている皮の部分がバスケットの中にあるではありませんか。心の中で「ラッキー」。つまんでパクリと食べてしまいました。友人が帰ってきました。「えー!片付けちゃったのー」「え、どうしたの?」「あの皮の部分、最後に食べたかったのにー」「そうなんだ。ごめんね。また来ようよ。」「うん」・・・・・・私が食べてしまったことは言えませんでした。