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田舎道を車で走っていると 5~6件の集落を見かけます。家の周囲に田んぼや畑があると 「農家なんだな。」で解決しますが、田んぼや畑がないのに家があったりすると、「なぜこんな不便な場所に住むのだろう?病気になったら大変だよなあ。子供の通学はどうするのかなあ。」などと考え、次第に妄想の世界に入ってしまいます。

戦国時代 豊臣秀吉は天下を統一するために全国を駆け巡ってました。秀吉の命令に背いた大名とは戦(いくさ)になります。戦になるといろいろなことが起きます。戦の途中で戦死したり、怪我をしたりすることもあるでしょう。そうなったら戦から引き上げることもできませんし、中には逃げ出す方もいるはずです。怪我をしている武士が倒れていたら、親切な地元の農家の方が家にかくまってくれたりするかもしれません。

武士「ん?ここはどこじゃ?」

老女「お武家さまは 関が原の戦いで倒れておったのを 娘のサチが連れてきて看病したのじゃ。お武家さまは もう一週間も寝てましたぞ。」

武士「サチと申すか。すまんのう。いたた!」

サチ「お武家さま!まだ傷が治っておりませぬゆえ、まだお休みになっててください」

武士「ふう。ご主人はおらぬのか、挨拶したいのじゃが。」

老女「主人は先だっての戦で死んでしまいました。見てのとおり、今は私とサチが二人で田んぼや畑をして食いつないでいるありさまです。」

武士「そうか!大変じゃのう。わしが元気になったらお礼に畑仕事を手伝って進ぜよう。」

サチ「本当ですか!ありがとうございます。」

・・・・・・その後、武士はサチと恋仲になり、武士は刀をクワに持ち替え、助けてくれたサチとその土地で子供を4人もうけて仲良く暮らしたのかもしれません。もしかしたら、あの集落はサチの子供たちなのかもしれないなあ。なんて妄想している間に「院長、着きましたよ」「ハッ!あ・ありがとう」目的地に到着してました。

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私たちが小学校のころはソフトボールが盛んでした。私も小学校4年からは上級生に混じって毎日練習してました。そのころは町内対抗戦でしたから、私たちの町の公園でも毎日誰かがソフトボールをしてました。

4年生のころは補欠です。5年生になってからはレギュラーになりました(町内に4~6年生は20人くらいしかいませんから大したことではありません)。すばしっこく、スポーツが得意だった私はピッチャーに選ばれました。いよいよソフトボール大会の日 注目度は低く 初戦に勝てば上出来くらいのチームでした。それが同級生や先輩のいる優勝候補の強敵チームを次々と倒し 決勝戦まで進出してしまいました。 

決勝戦は4年生以上の生徒500人以上が見ている中での試合です。私は頭の中が真っ白です。マウンドからキャッチャーまでの距離も いつもよりはるかに遠くに見えてました。大好きだった女の子も見てます。そんな中で投げてますから なかなかストライクが入りません。さらにさっきまで仲良かった野球仲間が ねたみもあってか「チビピッチャー!!ヤーイ!!」などとヤジをとばしてきます(涙)。6年生が「変わろうか?」と言ってくれましたが、「大丈夫です。投げます。」と、投げ続けました。結果は0-1で負け、準優勝でした。けど、5年生で投げぬいた私は、翌日の朝礼で優秀選手賞の賞状を頂き 大きな満足と自信を得ることができました。この幼少時の栄光はその後の人生の自信につながっていったのです。

今でもときどき夢を見ます。王監督がドラフトでなぜか私を6位で指名するのです。さらに新聞記者もやってきて取材を受けます。王監督は「一緒にがんばろうよ!」と言ってくれます。けど、クリニックを開業しているので悩んでしまうのです。「どうしよう。プロになりたいけど、明日もオペがあるしなあ。どうしよう。」。そこで目が覚めます。(40年前の小さな栄光をどこまで引っ張るんだよって感じでしょ。笑)

前列向かって右端が私です。凛々しい子供でしょ。baseball.jpg

競馬をする人間は馬肉を食べてはいけません。ツキが落ちるからです。

ある時、熊本の友人の家に遊びに行きました。熊本といえば阿蘇山と馬肉が有名です。夜、友人と町に繰り出しました。どこの居酒屋にも馬刺しがあります。私はかたくなに拒み、馬刺しは一切食べませんでした。

翌日、レンタカーを借りて阿蘇山にドライブに行きました。頂上近くに広い牧場があって、百頭以上の馬が放牧されております。おとなしいので近づいてもまったく動じません。さらに馬の胴体横に店の名前が書いてあります。うーん。これは私が競馬場で見たレース馬とは違う生き物だ。馬というより豚さんや牛さんに近い、むしろ家畜だ!という結論に達しました。その晩、馬刺しを食べまくったのは言うまでもありません。おいしかったあ。

そのせいか、競馬をはじめた年の有馬記念の大勝負には勝ったものの、その後は当たらなくなりました。昨年も大赤字でした。

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美容外科は7月後半から8月初旬にかけて忙しくなってきます。特に骨切りの手術の予約がたくさん入ってます。頬骨削りにエラ削り、小顔の手術(輪郭全周削り)に下顎骨削りなどです。顔面骨手術の術後の腫れがありますから夏休みを利用したいのでしょうね。

私は骨削りの手術が大好きです。理由はいくつかあるのですが、まず全身麻酔での手術ですから、患者さんは完全に寝た状態なので、術中に痛みを訴えることが全くないため手術に集中できること。長い間、骨を憎んでコンプレックスを持ってきた方がほとんどなので、その骨がなくなると大変に喜ばれ、術後の満足度が高いからです。

最近思うことは、エラ削り単独、顎削り単独の手術件数が少ないのです。どうしても手術前にシミュレーションしてますと、顎が小さくてエラだけ張っている方やエラは張ってないけど顎だけ長い方は少なく、下顎骨全体が発達している方が多いので、どちらかを小さくすると、どちらかが目立ってしまうのです。そういった場合は、全体のバランスをとりながら削ることを、お勧めしております。

あちこちのクリニックを回ってくる患者さんが多いのですが、さまざまなことを言われますから、混乱している患者さんをよく見かけます。シミュレーションもせずに骨を切ることはありえないことは知っておいたほうが良いと思います。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:輪郭(フェイスライン)の項をご覧下さい

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小学校のころ、学校の帰り道の途中に秘密基地を作っておりました。そこには、仲間が漫画の本や釣り道具、虫取り網やおもちゃなどを持ち寄って隠しておくのです。中学にもなると制服を着るので行けなくなりますから、次の世代の子供たちに明け渡します。

私は今でも家の裏にテントを張って秘密基地にしております。ここは私の憩いの場所です。雨の日でも、仲間とバイクの修理やバーベキューをしたり、酒を飲んだりすることができます。日差しの強い夏はマメやアズキも涼んでいます。家庭菜園をするためのクワやスコップも置いたり、苗作りはここでしてます。

朝起きると、アイスコーヒーを持ってここに来て、苗の状況を確認しながら目を覚まします。。落ち着いたら庭の水撒きをして 出勤するのです。

2月の雪でテントの屋根が雪の重みに耐えかねて破れてしまいました。やはり9000円のテントは何年も張りっぱなしにはできないのですね。以前は青だったので、今回は黄色にしてより明るい雰囲気を作ってみました。 

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今年の大河ドラマ「篤姫」は近年稀に見る名作です。私は大河ドラマの中では「利家とまつ」以来の名作だと思います。宮崎あおいさんの熱演も素晴らしいうえに、父親役の長塚京三さん、母親役の樋口可南子さん、島津斉彬役の高橋英樹さんの名演技には感激します。

篤姫は鹿児島に生まれ、13代将軍 徳川家定と政略結婚させられます。しかし家定は数年で亡くなったので、未亡人として大奥に残りました。14代将軍 徳川家茂には天皇家から和宮が降嫁しました。和宮は有栖川親王と婚約していたのに公武合体(天皇家と武士を仲良くさせる)のために、婚約破棄させられ、家茂と政略結婚させられたのです。しかし家茂も数年で死去したため、和宮も未亡人となり大奥に残りました。その後15代将軍 徳川慶喜へと移り変わっていくのです。

大政奉還後は徳川政権を倒すために薩長(薩摩と長州)連合が天皇家を味方に引き入れ、官軍として江戸城を攻撃することになりました。

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天皇家が味方しているのが官軍(正義)、それに反抗するものを賊軍(悪)といいます。ですから、徳川家は和宮を嫁に出していることもあり官軍だったのですが、天皇家(それも婚約者だった有栖川親王です)が薩長側に味方することになったので、徳川家の立場は賊軍となってしまいました。篤姫や和宮は政治的に利用され、最後は実家に見捨てられたのです。未亡人となった篤姫、和宮は実家に帰ることもできたのでしょうが、徳川家の人間として無血開場(戦をせずに江戸城を明け渡すこと)へと奔走し、あわやというところで江戸城は攻撃されなかったのです。もし。彼女たちがいなかったら、西郷隆盛は江戸城に攻め込んだのかもしれません。

徳川幕府が崩壊した後も篤姫は生涯、鹿児島に帰ることも援助をうけることもなく、波乱の時代を生きぬいたのです。また数年しか結婚生活をしなかった和宮も 死後は家茂の墓の隣に入ったのです。

*幕末といえば坂本龍馬です。そんなに多くは出ないと思いますが、玉木宏さんが演じる予定です。また堀北真希さんの和宮も楽しみです。

医師免許の試験を取ると、2年間は研修医になります。学生のときは大学で勉強しても、手術や注射の経験はさせてもらえないので研修医になってはじめて注射したりするのです。

先輩医師に教わりながらはじめて静脈注射をしたときは感激したのを覚えております。それが上手にできるようになると、病棟の患者さんに朝の点滴に回ります。血管の出にくい人には大変苦労します。女性部屋は特に苦労しました。一度刺すのに失敗したりすると「下手な先生」のレッテルを貼られてしまいます。そうなると 点滴に回っても、「あの先生はイヤ」なんて看護師さんに告げ口されてしまうのです。

そういったことを乗り越えていくと、次は手術の助手です。大きな手術や小さな手術のお手伝いをさせてもらうのです。それが上手にできるようになると、やっと手術をさせてもらいます。手術部屋には今日の手術の予定表が貼ってあります。私のはじめての手術は「アテローム」でした。手術時間は30分の簡単な手術とはいえ、さまざまな科の教授に並んで、手術の予定表の術者のところに自分の名前をみつけたときジーンとしました。なんかチョッピリだけ社会に貢献している人間になれた気分でした。

そんなことを2年間やって生きていくのです。問題は給料が月に2万円ということです。確かに何もできないのですが、同時に入った若い看護師は初任給が17万円です。看護師さんと このことについて話すと、

「先生たちは将来たくさんもらえるでしょ」

そういう問題ではありません!研修医がはじまるころのある日、父が「これ持ってけ」。と封筒を渡してくれました。なんと100万円です。「おまえらは、当分安月給なんだから、これで食いつなげ」「うん、ありがとう(涙)」。私にはこのお金があったので、少しずつ使って食いつなぎました。、そして、お金がなくなってきた10月頃に、やっと当直のバイトを割り当てられたのです。

 一晩3万円の当直です。何か問題が起きたら大変なので 山ほどの本を抱えて病院に行ったものです。手帳にも 先輩から聞いたさまざまなマニュアルを書き込み、眠れない夜を過ごしたのを覚えてます。お金を頂くことの大切さを知り、当直代として頂いた3万円は大切に使いました。

脂肪吸引は、最も技術の差が出る手術かもしれません。脂肪吸引は取れば取るほど美しい結果になるというものではありません(勿論、そういったケースもあります)。

美容外科に入門して初期に覚える手術のひとつに脂肪吸引があります。覚えたての先生は 張り切ってますから一生懸命吸引します。「先生!今日は3リットル吸引しました。明日は4リットルに挑戦します。がんばるぞー!」そんなことを言っている先生に出会ったら、気合いをそぐようで申し訳ないのですが、脂肪吸引についてじっくりと説明してあげなければなりません。脂肪吸引は彫刻のようなもので多くとれば良いといったものではないのです。大木から仏像を彫りだすくらいの心構えでやってほしいものなのです。

臀部下部・下腹部・ウエスト・上腕など、重力の影響を受けやすい部分(特に高齢の方)は吸引する層を考えて吸引しないと、皮膚のタルミという問題を残してしまうこともあります。しかし、患者さんにはさまざまな目的や環境がありますので、目的によっては皮膚のタルミや張りを度外視して吸引して良い場合もあります。

またバランスの問題もあります。日本人の女性で多いのは上半身が細く、臀部下部から大腿部外側に脂肪がつくタイプです。こういった場合はウエストの細さに合わせて大腿部を吸引するので、多く吸引すべきです。しかし、身体全体にバランス良く脂肪がついている場合は最も難しいケースです。ある部分を吸引すると、他の部分が太くみえてしまうからです。ですから本人の希望を聞いた上で、こういったことをインフォームドコンセントし、吸引量と層を決めて吸引しなければならないのです。

ちょっと前の話ですが、70歳の着物を着た上品そうな女性が脂肪吸引のカウンセリングに来ました。

「先生、太ももの脂肪吸引したいのですが。」

「はい わかりました。(診察後)太ももの外側が張り出していますから、外側を多めに吸引すると良いと思います。」

「いや、内側だけでいいんです。」

「他の部分とのバランスを考えると、内側だけではあまりよいできあがりにはならないと思いますが。」

「実は、夏になると股ずれするのでそこだけでいいんです。」

「・・・・・・・・・・・・・なるほど」

そんな脂肪吸引もあります。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:脂肪吸引の項をご覧下さい

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私にとってバイクは人生の中で切り離せないものです。

風をきって走っている気持ち良さはフェラーリやポルシェにも味わえない感覚だと思います。しかしバイクはスピードを出したら大変に危険な乗り物ですから、私は原付程度のスピードでしか走りませんが、それで充分なのです。

バイク好きにはいろいろな楽しみ方があります。スピードやスリルが好きな方。ファッションの一部として乗る方。スポーツとして乗る方。おもちゃのように改造していじくりまわす方。さまざまです。

私にとってヨンフォアは20歳のときに生まれてはじめて買った乗り物ですし、さまざまな思い出がつまっているので、これに乗っているときの自分は1970年代にタイムスリップします。人生の疲れや悲しみなんて一気に吹き飛ばしてくれます。

以前、チェッカーズの高杢さんがガンに侵されたことがわかったとき「自分が癌であることを知ったとき、好きなバイクに乗って逃げ出したかった」と記者会見で語ってましたが、とても気持ちが理解できました。術後元気になり心から祝福しております。

こんなに夢中にさせる乗り物なのですから、子供たちが乗りたがるのはあたりまえです。私たちも同じバイクのオーナーが集まってツーリングなどしますし、その時の爽快感は最高です。ただ暴走族のように、他の走行を妨害したりしながら乗るのは間違ってますよね。子供にバイクの良さを教えてよいのか悩む今日このごろです。

この写真のヨンフォアは ほとんど原型をとどめてません。改造に改造を重ね、こんな形になりました。1980年当時よりも光ってます。

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今年はじまったドラマのの中で「ROOKIES」が熱いです。

まず、登場人物の名前がメチャクチャなんです。安仁屋に新庄、関川、御子柴、桧山、岡田、江夏といった阪神ファンならおなじみの選手の名前が使われています。主役は監督役の川藤こと佐藤隆太さん。いままでずっと脇役でいい味を出しているな、と思って観ていたら とうとう主役に抜擢されました。もうひとつメチャクチャなのは生徒役の年齢です。先生役の佐藤隆太さんが28才なのに、生徒役の高岡蒼甫さんが26才。上地裕輔さんは先生より年上の29才なんです。真面目なドラマだったらありえないキャスティングです。

私の好きな映画のひとつに「パッチギ」がありますが、映画で高岡蒼甫さん、桐谷健太さん、尾上寛之さんが不良役で名演技をしてたので、それとダブってさらにおもしろいのです。

撮影現場が二子玉川というのも最高です。私が東京に住んでいた頃には、多摩川沿いをバイクで走り回ってたので、青春時代がダブるのです。

生徒役で出ている市原隼人さんは、とてもかっこいいですね。ドラマの中では怖い顔をみせてますが、笑顔になると ものすごいやさしそうな顔に変身します。どんな目の構造なのでしょう?とても魅力的です。

さらに良いのがBGMで流れているGReeeeNの「キセキ」です。このジャンルのCDは滅多に買わないのですが、買ってしまいました。GReeeeNのメンバーを見たことがないためなのか、市原隼人くんが歌っているように聞こえてしまうのは私だけでしょうか。

このメチャクチャな設定のドラマなのに、最後の10分は、毎回 感動して泣いてしまうのがくやしいのです。カウンセリングの合間などに録画を見てると、やはり感動して涙目になってしまいます。私が涙目でカウンセリングに来たら、ROOKIESを見てたと思ってご容赦ください。けど、これを見た後は心が優しくなってますから カウンセリングは より安心です。

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昨年の秋頃にホームセンターを散策していたところ、チューリップの球根が安売りしてました。私は最近、庭いじりが趣味なのでチューリップやヒヤシンスなど球根を50個ほど購入て、庭に植えてみました。

昨年中に芽を出すのかと観察しておりましたが、一向に芽が出る気配がなく、「腐ってしまったか」とがっかりしておりました。すると、2月ころからヒヤシンスが芽を出しはじめ、ついにチューリップの芽が発見されました。50本のチューリップはまもなく満開になりましたが、花の命は短いもので、あっという間に花びらは落ちてしまいました。

今度はグラジオラスです。チューリップのように1-2週間で散ってしまわぬように球根を一週間に20個くらいずつ植え続けています。ただいま200個近くは植え終わり、ニョキニョキと芽が出始めてます。やっと今日、5月に植えたグラジオラスが咲きました。このまま咲き続ければ、秋口まで楽しめそうです。

植物を育てているといろいろ考えます。種を植えると 普通は芽が出て育ちます。しかし、その中には順調に育つものもあれば、途中で枯れてしまうものもあります。それには肥料をあげたり、害虫をとってあげることが影響しています。それでも順調に育って大輪を咲かすもの、小さな花しかさかせないもの さまざまです。そして花を咲かせた後は種の保存のために種を作って枯れていくのです。つい人間に例えて考えてしまいますが、私も枯れる前に 自分に肥料を与え(美容手術をして) 枯れてないように見せようと計画しております。

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大学病院で働いていると、若い頃は1年から2年単位であちこちの病院に修行に出されます。ですから、東京に彼女がいても1年でまた遠くに行かされて会えなくなるので寂しい思いをするのです。

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千葉県の柏病院に赴任したときは寂しさのあまり手乗りのボタンインコを飼いました。医局の中に鳥かごを置いて、当直のときも一緒に遊んだりしておりました。医局の先生たちが帰ったのをみはからって、医局に放して運動させたりもしてました。(他の先生の本の上に糞などもおとしていたようです。笑。)名前はピーちゃんです。とてもなついており、私の頭の上に乗ったり、肩の上に乗って耳たぶを噛んだり、寝るときも枕元で休んだりしていたものです。

ある寝苦しい夜のあけた朝、起きてみると、いつも起こしてくれるピーちゃんがいません。「ピーちゃん!ピーちゃん!」部屋中を探しましたがおりません。変だなあ、と思って枕元をみたらピーちゃんが硬くなって横たわっておりました。すぐに心臓マッサージと人工呼吸を施しましたが、すでに天国にいっておりました。死因は圧死です。私の寝相が悪いために、寝返りをうったときにつぶしてしまったようです(涙)。

あまりのショックでピーちゃんを埋葬するのも2か月くらいかかってしまいましたが、東京にもどったときに家の近くの公園の隅っこにこっそりと埋葬しました。

今でもペットショップに行くと、ボタンインコを探してます。あんなになついてくれるボタンインコはあれ以来出会うことは無く、「ピーちゃん」と指をさしだすと、かみつかれてしまいます。

吉野家の牛丼をはじめて食べたのは、大学受験で新橋のホテルに泊まっていたときでした。母が夜食で買ってきてくれたのです。とてもおいしくて感激した記憶があります。最近でも昼食として週に一度くらいは食べてます。

つまらない話ですが、カレーやかつ丼、牛丼を食べるときには、いろいろ考えてしまいます。ごはん一口におかずがついている食べ方をしたいので、ごはんとおかずの量を真剣に観察します。調子よくおかずばかり食べてしまうと、最後にごはんだけが残ってしまうからです。牛丼を食べるときはオーダーのときから悩みます。

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牛丼並380円(ご飯1人前・牛肉1人前)

牛皿並280円(牛肉1人前)

牛丼特盛630円(ご飯1.5人前・牛肉2人前)

牛丼並と牛皿並で頼むと、一口分のごはんに必ず牛肉がついてくるので、私にはベストなのです。しかし、これで頼むと、660円なので特盛の630円にしたほうが、ごはんが多くついて、さらに30円の得なのです。しかし、特盛ではダイエット中の私に1.5人前のごはんは多すぎますし、一口分のご飯に牛肉一枚のペースでは、ごはんが余ってしまいます。食べ物を残すのが嫌いな私は、最後は取り放題のベニショウガだらけにしてして食べなければ気がすみません。

最近は良い食べ方を考えました。食欲旺盛な若い男性と食べにいくのです。それで特盛を2人前頼んで、自分のご飯をあげてしまうのです。そうすれば、若い子は特盛をおごってもらってハッピー、ごはんのおまけまでついてさらにハッピー。私もベストな食べ方で食べれてハッピー。吉野家も売上あがってハッピー。三者両得ですよね。

こんなこと考えるオレって小さな人間でしょうか。がっくり(笑)

去年の春、兵庫県尼崎市から大阪府豊中市に引越ししました。独り者といっても、引越し屋さんに荷物の量は四人家族分といわれました。確かに、100kg近い梅干しにレコード400枚、使えなくなったオーディオ類多数、数百冊の本、集めた食器300枚、20年使っている本棚、ベッド、高校一年に買ってもらった自転車、バイクの改造用パーツがダンボール10個分など使えないものまで持っているので引越し屋さんも大変です。引越しは二日にかけて行なうとのことでした。

引越し当日、10トンと4トントラックで引越し屋さんがいらっしゃいました。引越しがはじまりました。荷物が次々とトラックの中に吸い込まれていきます。私はそれを見届けて仕事に行きました。当日は予定通りです。翌日も荷物はトラックの中にどんどん吸い込まれていきます。引越しが終わったころに尼崎の家に忘れ物がないように見にきました。家の中は寂しげです。リッツを開業して以来、住んでいた場所にいろいろな思いをはせていました。家に向かって「7年間ありがとう。仕事は順調、私生活も順調、マメまでお世話になりました。」あれ?マメは?マメがいない!

即、警察に電話しました。早く探さないと保健所で処分されてしまいます。

私「もしもし!犬がいなくなったんですが、そちらにマメは届いてませんか?いや豆柴犬なんですが。」

警察「なんか特徴はありませんか?」

私「今日はピーターパンの服を着てます。」

警察「ここにいますよ!!」

私「本当ですか?今からすぐに行きます。」

 なんで警察にいるのかなんて考えてませんでした。考えてみたら連絡すべきは保健所だったかもしれません。よくよく聞くと、タクシーの運転手さんがドアをあけて食事をとっていたところ、後方座席に影が。あれ?思って後ろを振り向くとマメが座っていたらしいのです。確かにマメを連れてあちこちに遠出してたので、車のドアをあけると、すぐにのりこむ癖があるのです。でも本当にホッとしました。

翌日、運転手さんにお礼の電話をして、お礼の品とマメが乗ったタクシー代を送らせていただきました。

小学校の頃、夏になると虫取り網をもってあちこちの山を走り回ってました。 目的はカブトムシやクワガタです。これが取れないときは仕方なくセミをとってました。翌日になるとセミは全滅してしまうのですが、今考えるとかわいそうなことをしてしまいました。ご存知のように、セミは6-7年間は土の中で生活してます。命の燃え尽きる最後の一週間だけ地上に出てきて、結婚相手を探すのです。ですから、あの鳴き声を訳すと、「おーい、6年間も真っ暗な土の中で鍛えたオレを見てくれよー。いけてるだろー。誰か結婚しようよー!結婚しようよー。残り一週間を楽しもうよー。」といった悲痛な叫びなんです。そんなセミを、目的もなく網で取ってしまったら「なんだよー。やめてくれよー。オレには時間がないんだからー。放せよー。」と叱られてしまいそうです。

セミは毎年、梅雨明けの頃から鳴きだします。東北・関東はアブラゼミやミンミンゼミが圧倒的に多いので、「ジージー・ミーンミーン」の大合唱です。しかし、関西ではアブラゼミやミンミンゼミは少なく、ほとんどが「シンシンシンシン」の鳴き声、これはクマゼミいう名のセミなのです。木の上を観察すると、アブラゼミも混じってますが、圧倒的にクマゼミが占領してます。

セミの鳴き声を聞くと「夏」を感じますよね。しかし、驚いたことに夏の風物詩であるセミはハワイにはいないのです。ですからハワイの昼は静かなんですよ。

 
 
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私は毎年夏になると、ハットリくんの弟ハットリシンゾウくんを思い出します。シンゾウくんは「シンシンシンシン」と言いながら走るので、クマゼミと頭の中で連想してしまい、「やーまをこえ、たにをこえ、ハットリくんがやってきた♪・・」と知らぬ間に口ずさんでいるのです。

昨年は7月15日にセミの鳴き声を確認しました。今年もそろそろです。セミたちの命がけの恋を暖かく見守ってあげましょう。