« 2008年7月 | メイン | 2008年10月 »

私の小さい頃はいつも兄の後をついていくような甘えん坊だったらしいです。幼稚園の年少のときでも2つ年上の兄の教室に入っていって一緒に過ごしてました。これを先生達もあきらめて黙認してくれていたそうです。

私が小中学生のころ、周囲の推薦もあったのですが、生徒会の役員に立候補することが多くありました。中学校に入学したての秋にも生徒会の会計監査役に立候補しました。私の中学校の出身者で生徒会長をした人には中村敦夫(木枯らし門次郎)さんもおり、由緒ある生徒会でした。対立候補は2年生と3年生数名です。半年前に入学した私など勝てるはずもありません。今でこそブログなど書いてますが、文章を書くのが苦手でしたから困りました。兄に

私「明日の立会演説会の演説文考えてよー」

兄はニヤリと笑って

「いいよ。けど文章は当日まであけるなよ。それと書いてあることをそのまま読めよ。」

私「わかった。ありがとう。」

演説会の当日、体育館の壇上に登り、順番をまちます。その当時 生徒会副会長だった兄は私のほうをチラチラと見ております。順番が近づいてきました。いよいよと思い演説文を開きました。「えっ!これを読むの!うそ!」私は驚きました。兄もなにげにニヤニヤと笑っているようです。仕方ありません。約束通り読みました。

「私は しがひろおの弟 しがよしあきです!・・・・」

全校生徒1200人+先生達の大爆笑と拍手喝采の渦に巻き込まれました。私の顔も真っ赤です。黙々とつづきを読み終えて壇上から降りました。「くそぉ。兄貴に騙された!」

選挙の開票は当日でした。学校から帰った兄に文句を言おうとしたら

兄「おめでとう!!」

生徒会会計監査 当選 志賀由章(1年)787票 小沼絵里(仮名 3年)289票・・・・でした。

私の兄はどこへいっても人気者です。イケメンな訳でもなくスポーツができる訳でもありません。小さいころから あんなふうになりたいなあ、と思いながらも真似できない人間なのです。

兄が中学を卒業してからは 私の人気だけで当選することもないので、立候補することはありませんでした。

開業してからも人気者です。患者さんが朝の6時から弁当を持ってクリニックの前に並んでます。私が医師になって一番尊敬できた医師でした。

先日、福島の実家に帰りました。兄のクリニックを手伝っていたら、初老の上品そうなご婦人が注射を受けながら

「よしあきちゃん、ひさしぶりねえ」

「え!どちらさまでしたか。すいません。最近、物忘れがひどくはっきりとした記憶がないのです。でも会った事があることは記憶にあります。」

「無理もないわ。40年ぶりですもの。変わってないわねえ。私、幼稚園のときに同級だったタエコ(仮名)の母よ。」

「ええー!!!そうだ、そうです。思い出しました。お久しぶりです。」

ビックリしました。私が5歳のときの 初恋の女の子のおかあさんです。今でも幼稚園時代のことを思い出すときは 必ずタエコちゃんのことを思い出してました。タエコちゃんは 4歳のときから目鼻立ちがはっきりしていてお母さんのように上品でした。さらに手足は長く、その当時の子供の中では際立ってましたから、当然みんなの憧れの的です。小学校は地区の違いで別の学校になってしまいましたが タエコちゃんの学校の友人に彼女の様子は聞いておりました。スポーツが得意で中学のときはソフトボールをしていたこと。高校は地元に進学せず東京に行ってしまったことなど、彼女のことはたくさん知ってました。さすがに私も大学に進学してからは思い出すことも少なくなりましたが、その当時タエコちゃんの友人から手を回して手にいれた一枚の写真だけは 今でも家のどこかにあるはずです。

母「今日も私を迎えに来てくれるのよ」

私「え!そうなんですか!会いたいなあ。」

母「じゃあ。後で寄るわね」

言ってから後悔しました。医師になってからは誰とでも話せるようになりましたが、私は過度の緊張症です。学会の発表が嫌いなのも、人前に出ると緊張で手足は震え、言葉も震えてしまうからです。再開の時間が来るのを緊張して待ちました。

母「よしあき先生いらっしゃる?」

私「はーい(ドキドキ)。」

タエコ「ひさしぶりー!よしあきちゃん!。こんにちわ。」

私「あ!タエコさんですか。お久しぶりです。相変わらずお綺麗ですねー。外人さんみたい(オレは何を言ってるんだ。バカバカ)。私なんてこんなになってしまいました(全然うけないじゃないかーいわなきゃよかった。はぁ)。」

昔話で盛り上がりました。やっと緊張もとれたころに

タエコ「私の幼稚園の思い出なんてよしあきちゃんのことしかなかったわよ。」

私「えー!そうだったんですか。両思いだったんですね(いい年こいて何を言ってるんだ!バカバカ)。私もですよ。」

私は49歳なので彼女も同じなはずです。現在、彼女はダンスの先生をしているらしく美しいスタイルと相変わらずの綺麗な笑顔でした。不思議なことに今まで彼女を思い出すときは、昔に手に入れたあの一枚の写真の笑顔でしたが、再会してからは頭の中の記憶が現在のタエコさんに変わって前の記憶が消えてしまったのが不思議でした。

むかしむかし大阪に近所でも有名なはる・なつ・あき、という美人仲良し3姉妹がおりました。おめめはパッチリ。おはなはこじんまりとしてつんとしてかわいく、おくちは愛嬌のあるかわいいおちょぼぐちでした。

この3人はどこへ行くのも一緒で 洋服も一緒で髪型まで一緒なのです。ですから町を歩いていてもみんなが振り向きます。しかし髪型は3人ともシャギーで 輪郭を隠すような髪形にしてました。なぜかこの3姉妹は風の吹く日は外を歩きません。秋のある日

あき「風が吹く日はいややなあ。エラはってんのが見えてしまうわあ。」

はる・なつ「ほんまやー」

そう、この3姉妹はスタイルも良くかわいいのですがエラがはって四角い輪郭が唯一の欠点だったのです。

あき「来年から就職で 看護師さんになりたいんやけど、仕事中にこの髪型じゃあ仕事できひんしなあ。困ったなあ。」

それから3か月後、あきは一週間ほど旅行に行くといって出かけ、一週間後に帰ってきました。

あき「ただいまー」

はるとなつはあきを見て なんか違うと感じたようでした。少し太ったような感じを受けましたが、なんとなくかわいくなったなあと思ったようでした。その一週間後 あきは友人達とテニスをするので 朝からシャワーを浴びポニーテールで風呂場から出てきました。

あき「おはよー。」

はる・なつ「・・・・・・・・・(絶句)。」

はる・なつ「あんた、なんか変わった!なんかしたでしょ!言いなさいよ!ポニーテールなんかしたことなかったやんかー!」

あき「おねえちゃん ごめんね。リッツ美容外科でエラ削ってきてん。来年から就職やろー。看護師の仕事やから、髪をうしろでくくらんとあかんねん。でも、かわいくなった?」

なつ「ずるい!わたしもやるー」

はる「・・・・・・・」

翌月なつもエラを削ってポニーテールになり、性格もより明るくなりました。それから2年後 あきはイケメンのお医者さんと結婚し、なつも彼氏ができて婚約しました。のんびりやさんのはるもこれを見て、

はる「わたしにもクリニックを紹介してー」

はるが手術を受ける前日、枕元におとうさんが酔ってはるの寝顔をじっと見てこうつぶやきました。

父「とうとうお前もエラを削るのかー。ごめんなー。おとうさんがこんな輪郭だったからだよなあ。明日きれいになってこいよ・・・・。」

結局はるもエラを削ってポニーテールが似合うようになり、難波の町を仲良し3人組であるくようになりましたとさ。

この話は90%ノンフィクションです。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:輪郭(フェイスライン)の項をご覧下さい

輪郭に関するメールカウンセリングはこちら
輪郭に関する無料カウンセリング予約はこちら 

美しさを作る上で最も重要なポイントは目です。目の手術は数限りなくありますが、最も頻度の高い手術は二重です。二重にすれば目はパッチリするかといえば (眼瞼下垂の問題もあるますから)必ずしもそうではないのですが 瞼がきちんと開いている一重の方が二重にすると、美しさは際立ちます。

二重の埋没法というのは、糸をかけるだけと考えている方が多いようですが、埋没糸がとれないように かつ腫れずに手術するには 局所麻酔の注入場所や層や量、薬の種類、埋没する糸の通し方、結び方の強さなど、長年にわたって研究したいろいろな秘密の技術があります。そこが他院との金額の違いでもあると自信を持って言えます。

まず手術前にはきっちりとデザインします(これが最も大切です)。そして埋没法の術後には必ずチェックしていただきます。「うわあ!全然腫れてないー!ありがとうございますー。」という言葉を期待して、自信を持って鏡を差し出すのですが たとえ誰が見ても全く腫れずにできていても、稀に「メッチャ腫れてますねー」という言葉をいただいくことがあります。そんなときは「一週間もすれば腫れはとれますからね。」とだけ言って、肩をがっくりおとして去っていきます。

なぜこんなに「腫れ」に対する感覚が異なるのか不思議だったのですが、やっとわかったことがあります。リッツ美容外科ではじめて二重の手術をした方は 人生の中で瞼が腫れたことがないので腫れを強く感じるのです。他院で埋没法の経験のある方は ものすごく腫れが強かったことが記憶にあるのでリッツ美容外科での術後の腫れの少なさに感激するのです。

実際、そんなに腫れずにできるのですが カウンセリングのときには、心の中で「腫れませんよ」と胸を張って言いたくても「一週間くらいは腫れると思っておいてください」と遠慮気味に言うようにしてます。

詳細につきましてはリッツ美容外科ホームページ:目もとの項をご覧下さい

二重に関するメールカウンセリングはこちら
二重に関する無料カウンセリング予約はこちら

080801_3pado.jpgメディア掲載のお知らせです。

大阪地方誌「ぱど」最新号(8月1日発売)にリッツ美容外科大阪院のご案内をリリースいたしました。
ぜひご覧ください。

実際の記事をこちらからご覧いただけます(pdf:360KB)

今から30年前、私はサーファーでした(笑)。

日曜日になると、朝早くから友人の車にボードを積んで湘南の辻堂海岸に向かいます。辻堂に着いたら 歩道橋に登ってどこの海岸に波があるかをチェックし 波のある海岸に向かいます。波がたってないときは海沿いのR134を走って波のあるポイントまで車で移動します。

台風が通り過ぎた翌日はきれいな高い波がたつのを知ってましたから、犬を連れて一人で湘南まで行きました。その日、歩道橋から波がたっていいたのは 茅ヶ崎ホテルの前でした。茅ヶ崎ホテルの駐車場に 犬を入れたまま車を止め 海へ向かいました。波は高かったのですが 風の影響できれいな波ではありません。ただ、ボードに乗っているだけでも幸せなので 波待ちをしながらボーっとしていました。

サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」を口ずさみながら波待ちです。「海岸で若い二人が恋をする物語♪・・・・・・エボシ岩が遠くに見える♪ 涙あふれ・・・」と後ろを振り向くと 「うわあ!!!!!」エボシ岩がすぐそこにあります!!やばい!潮の流れに流されたんだ!さすがにそのときは死を覚悟しました。前日、ウインドサーフィンをしていた大学生が一晩中漂流してニュースになっていたばかりでした。海岸からエボシ岩までは1.5kmくらいです。大体1.2kmくらいは流されていたようです。

両親のことや兄弟のことを思い出しました。車の中の犬も死んでしまう!!パニックの中、私は冷静になりました。「ようし!オレは生きるぞ!!」一生懸命パドリングしました。潮の流れに逆行してますから全然進みません。でかい声で気合いを入れ、約2時間はかかったでしょうか。やっと海岸にたどりついたのです。

今でも「チャコの海岸物語」を聞くと、その時のことを思い出して背筋がぞっとします。死まで覚悟した「オレの海岸物語」です。

naminori.jpg
この写真の左側が私です。波は小さいけどきれいに乗れてるでしょ。26年前、千葉の海岸で撮りました。

フードマイレージとは、簡単に言えば「食べ物がどれぐらいの距離を運ばれてきたか」を示し、食べ物を運ぶにあたって二酸化炭素がどれだけ排出されたかを計算し、環境汚染にどれだけ影響するかを数字で表すものです。日本はフードマイレージが世界一高い国です。つまり食料を自給率が低く、他の国からの食料依存度が高いことを示しております。

先日、福島に帰ったときに野菜や果物をたくさん買いました。農家直営の野菜は大阪のスーパーの5分の1くらいの値段で売っています。先日帰郷したときもトマトを3箱(60個)で1000円、スイカを2個で2000円、桃を1箱(15個)2000円で買いました。トマトなんて1個17円くらいですから、ペットボトルの水よりも安い値段なのです。うちのスタッフに空港で買ったお菓子をおみやげにするよりも、新鮮な野菜にしたほうが喜ばれると思い、張りきって買いました。これをかついでチェックインしようとしたところ、係員の方が重量を測定してました。

「すいません。業者の方でしょうか。」

「(だれがやねん!オレが野菜屋のおっちゃんにみえるかよ!怒!)いえ。どうかしましたか。」

「手荷物以外のお荷物は15kgまで無料なのですが、お客さまの荷物は27kgありますから、1kgにつき400円の追加料金が必要になってしまいます。」

「えー!そうなんですか?知りませんでした。」

頭の中で計算しました。超過分12kg×400=4800円!野菜や果物の値段が5000円ですから、なんと倍の値段になってしまいます。作戦を練りました。

「手荷物で機内に持って入ればよいのですか?」

「はい、それなら結構です。ですが手荷物はお一人様10kgまでとなっております。」

「でしたら、この9kgの桃を手荷物にしてもよろしいですか?」

「結構ですよ(嘲笑)。そうなりますと超過分が3kgになりますから1200円になります。」

「はい」

私は9kgの桃を肩にかついで機内に乗り込みました。福島の桃の甘い香りが機内に漂っていたのは言うまでもありません。周囲のお客さんは私のことを果物屋さんのおっちゃんだと思ったかもしれません(恥)。心の中で「どちらにしてもフードマイレージには関係ないじゃないか」とブツブツつぶやいてました。