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「赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)」は映画化されたり、配役を変えテレビで何度も放送されるほど有名で、良い話とされてます。しかし現代で忠臣蔵が起きたら大変なことです。殺人事件で逮捕されてしまいます。

仇(あだ)討ちは親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みをはらすことで、江戸時代、武士階級で慣習として公認されていました。人を殺しても番所(役所)に届け「仇討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、勇気ある行動と賞賛されていました。

あだ討ち禁止の最初の法律が1873(明治6年)年2月に発令された復讐禁止令です。これによって犯罪は個人に代わって国や地域社会という司法が罰するという国家的公刑罰権が確率されたのです。

私は殺人事件をみると、とても悲しい気持ちになります。殺人事件には、被害者と加害者が必ず存在するからです。ですからそんな事件のニュースがあると、両方の立場になって考えます。

もし、悪意や無差別に自分の子供が殺されたら、犯人を自分が仇討ちしても死刑にしても自分の心は晴れないと思いますし、むなしさが残るだけです。病気で死ぬというのとは意味が違います。突然、愛する子供がいなくなってしまう悲しみなど、私の想像を超えたものなんだと思います。

もし、自分の子供が他人を殺してしまったら 子供の死刑を受け入れられるでしょうか。さまざまな状況にもよりますが、更正できるものならさせたい、と考えてしまうのでしょう。しかし、殺された相手の悲しみを考えたら そんなことでは済まないはずです。子供がしたことの重大さを認めさせ、司法に委ねるしかないのでしょう。たぶん子供の育て方を反省し、一生悔やんで生きていかなければならないのでしょう。

最近、死刑廃止論というものが言われております。確かに死刑が生み出すものは少ないとは思います。だからといって死刑を廃止する、というのは間違っていると思います。やはり命には命で償うというのは大前提として、これによる抑制効果を期待しなければ事件は減らないはずです。

命は神様に与えられたものです。ひとつの命を育てるには周囲の大変な苦労と努力を伴うものです。その過程の思い出や愛を一瞬にして失ったら、周囲の人達だって生きる望みを失うはずです。

人気取りのために死刑廃止論を唱えている政治家は、そんなことよりも犯罪の起きないような世の中を作ることを考えていただきたいものです。

これから裁判員制度が始まります。どんな事件がどのように裁かれるかを見守っていかなければいけませんね。 

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コメント

 去年、「0(ゼロ)からの風」という映画を観ました。

 飲酒運転によって、ひとり息子(役 杉浦太陽さん)をひき逃げされた母親(田中好子さん)が主人公で、様々な困難を乗り越えて、同じ被害に遭った被害者と立ち上がり、危険運転致死傷罪という刑法の改正のきっかけとなる運動を起こされた実話に基づいた映画でした。

 子を持つ親として、涙なしで観る事は出来ませんでした。

意志を強く持って立ち向かってゆけば、理不尽な現実や法律は変える事が出来る、道は開かれるのだと信じたいです。

 裁判員制度。

正しい裁きが行われる事を願いたいですね。

あの事件のニュースで母親がビラを配っている姿には、子供に対する愛情だけではないそれ以上のものを感じました。最近も、若い公務員の男性が酔っ払い運転で3人の幼い命を無くした事件がありました。しかし、その事件と、先日の秋葉原の殺人事件は同じではないと思います。こんなに難しい問題を国民に投げてしまってよいのでしょうか。大岡越前のように名裁きを下すために裁判官は存在しているのではなかったのでしょうか。当分、司法は混乱してしまいそうですね。

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